2018年8月31日金曜日

【第67回】在外公館の存在しない場所でパスポートを紛失した場合の対処

<<<筆者注:この記事はウクライナ侵攻前に執筆したもので、現在のロシアの状況を反映したものではないことにご注意ください>>>

2018年8月30日木曜日

【第66回】定年退職のない職場と年金問題

私の職場には定年退職の規定がありません。そのため多くの大学教員が日本の定年退職年齢を超えても現役で働いています。アメリカの大学でもテニュアを持っている人は高齢になっても働き続ける人は少なくありませんが、私が知っている範囲では、そのような場合、講義や院生の指導を行わないなど、若い時とは働き方が変わり、給料も減額される場合が多いように思います。

一方ロシアでは、70才を超えて講義を持つのは普通ですし、役職についている人も少なくありません。私が赴任した当初の大学附属天文台長も76才でしたし、当時58才だった同僚が学部の時に講義を受けた教授が80代後半で現役でした。私の所属する学科の学科長は55才ですが、もしかすると学科の中では平均年齢以下かもしれません。

長く働ける職場環境であることは研究者にとっては、ずっと興味のある研究を継続できるという意味で良いのですが、同僚たちの話を聞いていると必ずしもポジティブな反応ばかりではありません。ネガティブな反応として、まず最初に挙げられるのが「年金が少ないから辞められない」というものです。年金額は人によって様々なようで、連邦大学職員だと支給額が月5000ルーブルといった場合もあるようです。こうなるととても年金だけでは食べていけませんから働き続けるしかありません。

職場を見渡してみると、高齢でも講義を続けている元気な人もいる一方で、言葉は悪いのですが、ほんとうに「ヨボヨボ」な感じで、職場に来てお茶を飲んでおしゃべりして帰っていくだけ(に限りなく近い)人もいます。しかし、ロシアでは職場の同僚との関係を非常に大切にするので、あまり仕事ができない高齢者が職場にいても誰もそれを咎めませんし、その人たちが仕事できない分は他の人達がカバーしている感じです。とはいえ、もし生活する上で十分な年金が支給されていれば、体力のない高齢者は、おそらくリタイアして自宅で家族と一緒に平和な老後を過ごすのではないのかなという気はします。

高齢スタッフが働き続けることと関連して、若い研究員からは「ロシアの大学ではポストがなかなか空かなくて困る」という意見を聞いたこともあります。上で述べたように、うちの職場もスタッフの平均年齢が高く、若い人がもっと入ってくるべきなのですが、空きができないのでなかなか新規の人が就職できません。

とはいえ、私が面白いと思うのは、日本だとこういう状況になると高齢スタッフにかなり攻撃的な発言をする若手が出てきそうですが、私の職場では、若い人も中堅の人も、皆さん基本的に高齢者にとても優しく接しています。困ったことがあったら助けてあげているし、仲間としてリスペクトしている感じがします。例えば、75才、80才などの節目の誕生日を迎える同僚の誕生日パーティーはうちの職場では欠かせない行事です。こういうパーティーの時、高齢のスタッフも一切遠慮はありませんし、誇らしげに子供や孫を職場のパーティーに連れてきます。ロシアの年金問題は難しい問題ですが、しかしそれが職場で世代間の不協和音につながらないところがロシアとその文化の興味深いところです。

職場の誕生日パーティーの様子

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【第65回】安ウォッカでのたうち回った話

2018年8月28日火曜日

【第65回】安ウォッカでのたうち回った話

エカテリンブルクに赴任した当初、スーパーのウォッカコーナーを眺めていて、棚の下の方に異常に安い酒が並んでいることに気がつきました。「異常に安い」というのは、700ミリリットル入のボトルが100ルーブルを切るような値段です。上の方の棚に並んでいるよく知られた銘柄はだいたい300ルーブルもしくはそれ以上の値段がついています。

そこで、よせばよいのに「せっかくロシアに来たのだから一度ウォッカでも飲んでみるか」と思いたち、この安ウォッカを飲んだのが大失敗でした。安ウォッカを飲んだ日の夜中、激しい腹痛に襲われ本当に文字通りトイレでのたうち回りました。酒を飲みすぎると吐き気を催したりしますが、そういう類の症状ではなく、とにかく今まで酒を飲んだときに感じたことのないような激しい腹痛でした。(ちなみに、私はお酒を飲んで吐いたことはないので、それほどアルコールに弱い方ではありません。)

当時はまだ職場の外国人サポートスタッフも割り当てられておらず、さらに天文学グループの同僚が出張で街にいなかったので、なんとか救急車を呼ばずにやり過ごしたのですが、今だったら間違いなく救急車を呼んでいたレベルです。

後で知ったのですが、ロシアにはその辺のスーパーにも、国の基準を満たしていない劣悪な品質の酒類が平気で並べられているそうなのです。私がのたうち回った話はもう4年ほど前の話なので、今でも飲むと腹痛を起こすようなひどい品質のウォッカがスーパーに並んでいるかどうかはわかりませんが、100ルーブル以下の安ウォッカは今でも店頭に並んでいます。他の安ウォッカでも腹痛が起こるのかどうかは不明ですが、私は恐ろしいのであれ以来、極端に安い酒類は飲まないことにしています。

ロシアのスーパーの酒売り場の棚は、高いものが上、安いものが下で、おおよそ上から下に値段の順番に並んでいますので、一番下の棚に並んでいるものすごく安いウォッカには要注意です。

写真はイメージ
(無料写真素材 写真ACより引用)

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【第64回】「ロシアの乳製品」ツイートまとめ

2018年8月27日月曜日

【第64回】「ロシアの乳製品」ツイートまとめ

ロシアは「乳製品天国」で、スーパーには非常に多くの種類の乳製品が並んでいます。最近、妻がロシアの乳製品に興味を持ち始めたようで、新しい乳製品を見つけてはセッセと買ってきてくれるので、ほぼ毎日未知の乳製品を夫婦で試しています。乳製品を試した後に感想をツイートしてきたのですがある程度数が溜まってきたので、今までの分をここにまとめておきます。

近所のスーパーに並んでいる乳製品。おそらく20種類以上はあるはず。

上のツイートには「 イルビトケフィア」と書きましたが、イルビトは産地の名前なので、乳製品の種類としては「ケフィア」です。







私はアイランを試してみて「これはアカン」と思ったのですが、ネットで検索してみると「意外に美味しい」と言っている人も多いようです。なんというか、もしかすると私が不味いと思ったのは「コーラのボトルに詰められたコーヒーを飲まされるドッキリ」にひっかかったようなそんな感覚だったのかもしれません。カルピスを思わせるような見た目で「塩味」というのが意外過ぎるので、その予想とのギャップによって不味さを感じた可能性があります。機会があれば、再挑戦してみたいと思います。


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【第63回】解体された未完成電波塔

2018年8月24日金曜日

【第63回】解体された未完成電波塔

今年、ロシアではサッカーW杯が開催されましたが、大会開催に向けて街が急速に整備され、ここ1-2年ほどの間にとても街の中が綺麗になりました。ガタガタだった歩道の石畳が直されたり、道路が舗装し直されたり、見た目が汚かったキオスク(屋台型の小型の商店)が一掃されて市内統一デザインの綺麗な店舗となったり、様々な改修が行われました。

道路の改修などは市民から概ねポジティブに受け入れられたと思いますが、意見が割れたのが古い建物や構造物の取り壊しです。エカテリンブルクには、ソ連時代に建てられた建物や構造物が多数残っています。住宅などは改修されながら今も使われているものが多いですが、工場やモニュメントなどは、修理が行われず廃墟となり、中にはギャングの溜まり場になったり、倒壊する危険性があると言われているものもあります。

そういったソ連時代の構造物の中で特に有名で、ある意味「街のランドマーク」的な存在だったものに「未完成の電波塔」があります。この電波塔は、ソ連時代の末期に建築が始まったのですが、建築中にソ連が崩壊し未完成の状態で取り残されました。

10年ほど前までは、階段が整備され、塔の頂上に登ることができたようですが、てっぺんから無許可でパラシュートを抱えてダイビングに挑戦した人が死亡するなどの事件が発生した関係で、最近はずっと閉鎖されていました。以下に掲載された写真からもわかるように、塔の外観は殺風景で、老朽化から倒壊の危険性も指摘されるようになり、サッカーW杯を前に景観を改善するために取り壊すという話が州当局から出てきました。

しかし、どうもこの電波塔には街のランドマークとして愛着を持っていた人が多くいたようで、解体について、賛成と反対に街を二分する大論争となりました。当時のエカテリンブルク市長だったロイズマン氏も解体反対派で、反対デモに自ら参加するなどし、連日地元メディアでこの件についての報道が行われました。

その後、建築を専攻する大学生などが集まって、綺麗な外観に改修する案が出されたり、重要文化財としての登録申請が出されるなどしましたが、結局、W杯を目前にした2018年3月24日に州当局によって爆破解体されました。解体前日には、強硬な反対派が塔に登ってロシア国旗を掲げるなど状況が混乱し、最終的には特別任務民警支隊(オモン)と呼ばれる部隊が解体現場に投入されるなど、かなり街の中はピリピリした状態となりました。

電波塔の解体と同時期に、郊外に残っていたソ連時代の工場などもまとめて解体され、街の雰囲気が大きく変わりました。私は個人的にはソ連時代の建物も興味深いものが多いので、改修しながらある程度残しても良いのではないかと思います。しかし、エカテリンブルクで生活していると、対外的にロシアが外国の目にさらされるときには、「汚いロシア」や「貧乏なロシア」を決して外に見せたくなと思っている人ともたくさん遭遇します。

この電波塔解体周りのドサクサで見られるような、ソ連時代も含めた「古いロシア」を大切にする人たちと、「新しいロシア」に生まれ変わらなくてはいけないと考える人達のせめぎ合いは、今、非常に急速に変化しつつあるロシアの葛藤の一つの現れなのかもしれない、などと街の状況を見ながら私は考えていました。

解体される前の未完成電波塔(左)と解体後の残骸(右)

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2018年8月23日木曜日

【第62回】教育専門スタッフとの微妙な関係

ロシアの大学で教員が学術的な研究を活発に行うようになったのは比較的最近になってからの話です。ソビエト時代には、高等教育と学術研究は、それぞれ大学と科学アカデミーの2種類の機関で別に行われていたため、ソ連崩壊後もその名残が残り、大学においては学術研究はあまり活発には行われてきませんでした。

しかし、最近になってロシアの大学も世界的な評価を気にするようになり、イギリスの教育雑誌などが発表する大学ランキングで少しでも上位に入るよう、評価の重要な指標である学術研究にも徐々に力を入れるようになってきました。私のような外国人スタッフを雇用し始めたのも、大学における学術研究を活発化させることが目的の一つだと考えられます。

しかし、大学における研究活動を国が重要視するようになってくると、どうしても教育を専門に行なってきた教員たちは「もしかすると職を失うのではないか」という不安を感じるようなのです。私が赴任した年にも大規模な「研究重視政策への反対集会」があり、学内だけでは収拾がつかず、モスクワの露文科省から高官がやってきて教育専門スタッフとの対話集会が行われました。

この問題、外国人スタッフである私にも影響がないわけではありません。私は教授職なので、本来は講義を担当する義務があります。実際にシラバスを提出し、講義紹介のビデオ撮影も行いました。しかし、今のところ、時折単発で分野紹介の授業をすることはありますが、本格的に学期を通じての講義を担当することはなく、実質的に研究専門職のような形で勤務しています。

この状況について、一応大学側からは「英語で行われる講義には学生が興味を持たないので授業登録してくる学生がいない」という説明を聞いたのですが、いくらロシア人の学生が英語が苦手とは言え、3年にわたって一人も授業をとらないというのは不自然ですし、実際にはもう少し異なる理由が背景にあるのではないかと推測しています。

身近な同僚たちと話をしていると、どうやら教育を専門としているスタッフの中には、教育と研究を両方行いロシア人よりも高い給料をもらう外国人スタッフをよく思わない人たちが一定の割合存在するようなのです。自分たちの立場を脅かす存在と捉えられているのかもしれません。

何れにせよ、今後新しく採用される教員は、外国人だけではなくロシア人スタッフについても教育と研究の両方の能力が期待されるようになるはずですし、時間が問題を解決してくれるとは思いますが、現時点では賃金差の問題も含め、ロシアの高等教育現場に横たわるデリケートな問題の一つとなっています。

学生相手に分野紹介の授業をしている私
(2013年12月撮影)

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【第61回】市内で見かける多様な自動車

2018年8月22日水曜日

【第61回】市内で見かける多様な自動車

エカテリンブルクでは実に様々なメーカーの車をみることができます。あまりに多様なメーカーの車を見ることができるので、街全体が「自動車の博物館」のように思えてくることさえあります。

日本メーカーの車は「壊れにくい」ということで人気が高く、新車も中古車も多く走っています。中には、日本の社用車や公用車として使われていた車が、日本の会社名のペイントが入った状態そのままで走っていたり、日本の神社の交通安全祈願のお守りがぶら下がっていたりする車も見かけます。しかし、割合としては、日本車は街で走っている車全体の1割も満たないように思います。この点「走っている車のほとんどが日本車」というロシア極東の状況とはかなりことなります。

エカテリンブルクでは、日本車以外に、ヨーロッパや米国製の車も多く走っており、韓国メーカーの車も頻繁に見かけます。各国のメーカーの割合に極端な偏りは見られず、かなり綺麗に分散している感じがしますが、日本人にとって特に目を引くのは中国車とソビエト車でしょう。中国車は、近年かなり増えてきているようで「Great Wall」(万里の長城)といった中国的な名前の車をよく見かけます。中国車は他のメーカーに比べると故障は多いようですが、そもそも購入費用も修理費用も安くあがるため人気があるようです。

ソビエト時代に作られた車もしばしば見かけます。もちろん現在では生産はストップしているわけですが、自分で修理しながら長く乗っている人が多いようです。以前、同僚に「ソビエト車は故障は多いのではないですか?」と聞いたら、「非常に故障は多い。でも安心感がある」という不可解な返答が返ってきました。

「安心感がある」理由を聞くと「自分で修理できるから」という返事でした。同僚は「最近の外国メーカーの車は構造が複雑で自分では修理できない。冬場の気温が低いときに街外れで故障したら命取りになる。その点、ソビエト車は自分で修理できるので安心だ」というような説明をしていました。ソビエト時代の学校では、自国制の自動車を教材として「車の修理方法」を教えていたそうです。したがって、ソビエト時代に教育を受けた年代の人にとっては、ソビエト車の「自分で修理できる安心感」というのは他のメーカーの車でもって替えがたい大きな利点のようです。

(左上)ソビエト車、(右上)日本製中古車
(下)中国車

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2018年8月20日月曜日

【第60回】発展途上の旅費サポート

<<<筆者注:この記事はウクライナ侵攻前に執筆したもので、現在のロシアの状況を反映したものではないことにご注意ください>>>

2018年8月16日木曜日

【第59回】外は地味でも中は綺麗

エカテリンブルクに引っ越してきて初日に抱いた感想の一つに「店や役所の場所がわかりにくい」ということがあります。職場の担当者や同じ学科の同僚に街の中を案内してもらったのですが、どこのお店もとにかくわかりにくい。「え、ここに合鍵屋があるの?」「え、ここが肉屋?」「え、ここが本当に役所なの!!」といった驚きの連続でした。

なぜこんな事態になるかというと、この街のお店や役所は、多少の例外を除いて、どれも外観がとても地味なのです。小さな商店や役所は特に地味です。日本のお店だと電飾を使って派手な外観を作り、遠くからでもお店の存在が一目瞭然ですが、エカテリンブルクの小さな商店にはまずほとんど電飾がないですし、看板が出ていても小さかったり地味な場合が少なくありません。

また下手すると看板すら出ていないお店もあり、最初は目的のお店や役所を見つけるのになかなか手こずりました。移民局などの役所も、ソ連時代に建てられた団地の一部をオフィスとして利用していたりする場合は、本当にわかりにくいです。

しかし、その地味な外観の一方で、これも驚いたことの一つなのですが、「中は普通に綺麗」な場合が多いのです。お店にせよ、役所にせよ、外観がすごく地味だったり汚かったりしても、中は案外綺麗に整っています。

これは後でわかったことですが、お店や役所以外にも、建物の外観が地味なのに中は綺麗という建物がとても多いです。これまでに何度か地元のロシア人のお宅にお邪魔したことがあるのですが、外観はソ連時代に建てられた古い住宅でも、中はまるでヨーロッパの小洒落たコンドミニアムように綺麗にリフォームしているお宅も少なくありません。

参考までに、エカテリンブルクの目立たない建物の写真を掲載しておきます。上は職場近くの靴修理と合鍵のお店です。ここに同僚に連れて行ってもらったときは本当に驚きましたが、同僚は「え、なんかおかしい? ここの合鍵は評判が良いよ」と、逆に驚いている私に驚いている様子でした。

下の写真は移民局の入り口です。ここはソ連時代に建てられた団地の一部を役所のオフィスとして使っており本当にわかりにくいです。最初はどこに役所があるのか全くわかりませんでした。しばらく近辺を観察して季節労働者らしい中央アジア風の外国人の一団が入り口に入っていったのを見てようやく移民局だとわかった次第です。

ただ、エカテリンブルクは、今年サッカーW杯が開催されたり、2025年万博の開催都市に立候補している関係で、ここ1-2年の間に都市開発が進み、外観も中も両方綺麗なお店が増えてきたことも事実として付け加えておきます。

職場近くの合鍵と靴修理の店。腕が良いと近所では評判の店だ。
(2015年6月撮影)
移民局の入り口。(現在は別の場所に移転。)
(2017年7月撮影)

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【第58回】収穫の時期の貰い物

2018年8月15日水曜日

【第58回】収穫の時期の貰い物

日本では暑さのピークはだいたい8月に来ますがユーラシア大陸の真ん中に位置しているエカテリンブルクでは夏場の気温のピークが来るのは通常は7月で、8月に入ると徐々に初秋の雰囲気が漂ってきます。そして、8月も中旬を過ぎると、ロシア人の地元の知り合いから、野菜や果物を貰う機会が増えてきます。

この時期にロシア人からもらう野菜や果物は、彼らが「ダーチャ」と呼ばれる郊外のセカンドハウスの畑で作った自家製の作物です。ダーチャはロシア外では別荘だと解釈されることも多いですが、必ずしもダーチャは日本人が別荘と聞いてイメージするような金持ちの豪勢なセカンドハウスではなく、むしろ大衆的な質素な作りの小さな家が多いです。

現在の大衆的なロシアのダーチャは、第二次世界大戦中から大戦後の食糧不足の対策として、ソ連時代のフルシチョフ政権が各家族に畑用の土地を配布したことが始まりと言われています。この時の習慣が今でも残っており、多くの人が畑付きの家、すなわちダーチャを郊外に所有しています。

職場の同僚2-3人にダーチャを見せてもらったところ、連邦大学の職員ぐらいの身分だと、2-3ベッドルームを備えた質素な木造の家にそこそこ広い畑(25メートルプール1つか2つ分くらい)とサウナ小屋がついている、ぐらいの構成が典型的なダーチャだと思われます。

大学の試験期間が終わり夏休みに入る6月下旬くらいから、野菜や果物が収穫できる期間が終わる10月初旬くらいまで、多くの同僚がダーチャに滞在したり通ったりしています。この時期は市内の自宅ではなくダーチャから出勤する人も多くいます。ロシア人の学生や大学院生たちも夏場はダーチャの畑の世話に駆り出される人が多いようです。

8月も中旬を過ぎるとダーチャの畑も徐々に収穫の時期に入ってきます。もともとロシアでは人にちょっとしたギフトをあげる習慣があるのですが、収穫の時期はとくに野菜や果物の貰い物が多くなります。今シーズンは、昨日初めてダーチャの作物をいただきました。今年始めてもらった作物はビーツ、白瓜、ハーブ等でした。毎年、ロシア独特の野菜や果物をいただくので楽しみにしています。

今年初めて頂いたダーチャの作物。白瓜、ビーツ
バジル、西洋オトギリ草など
(2018年8月撮影)

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【第57回】同僚たちが選ぶ誕生日プレゼント

2018年8月14日火曜日

【第57回】同僚たちが選ぶ誕生日プレゼント

私の職場ではメンバーの誰かが60才、70才など、切りの良い誕生日を迎えると、学科全員が集まって職場で誕生日会が開かれます。誕生日会はランチの時間に開かれることが多く、食事だけでなくお酒も出てきます。職場の就業時間中にお酒を飲む機会があるというのは日本人の感覚からすると変わった習慣なのですが、職場での飲酒については面白い話がいろいろあるのでまた別の機会に書くとして、今日は誕生日を迎える人に送る「プレゼント」について書いてみたいと思います。

誕生日会のときには、多くの人がプレゼントを持参します。ロシア人が用意するプレゼントとその渡し方は独特でとても興味深いです。例えば、よくあるプレゼントの一つに「本」があります。相手の好みもありますし、日本人はあまり贈答品に本を用いることはないと思いますが、ロシアでは非常にポピュラーな贈り物です。先日の職場の誕生日会でも、誕生日を迎えた人が「歴史好き」だったため、歴史の本をプレゼントしていた人がいました。他には、自分で書いた絵、ギターの弾き語りで歌のプレゼント、詩の朗読などといったものもよく見かけます。

本や絵などの物品をプレゼントする場合でも、なぜそのプレゼントを選んだのかその理由、プレゼントの品にまつわるエピソード等を手渡す前にじっくりと演説します。この「プレゼント贈呈」の順番が、なんというか、日本の「カラオケパーティ」で歌う順番が回ってくるような感覚で回ってくるのです。つまり、プレゼントの贈呈が、一種のパーティーの「出し物」になっている訳です。私も初めて誕生日会に参加したときは面食らってしまい何を話してよいのかわかりませんでしたが、2回目以降は事前に準備するように心がけてなんとか難を乗り切っています。

本をプレゼントする習慣は誕生日に限った話ではありません。例えば、以前、職場の同僚の友人が経営するレストランに招待されたことがあるのですが、この時同僚の友人に初対面の挨拶のときに頂いたギフトも本でした。ソ連時代には「あなたの趣味は何ですか?」と問うと、7-8割の人が「趣味は読書です」と答えていたという調査もあるそうで、その読書好き、本好きの体質は新生ロシアになった今でも残っているようです。

同僚の友人にもらった本
(2018年8月撮影)

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【第56回】ロシアに天文学者は何人いるか

2018年8月13日月曜日

【第56回】ロシアに天文学者は何人いるか

「ロシアには何人くらい天文学者がいますか?」という質問を時々もらいます。私も同僚のロシア人に同じ質問を何度かしたことがあるのですが、ロシアには日本の「日本天文学会」に相当するような全国規模の天文学者の団体が存在しない関係で正確な天文学者の人数がわかりません。しかし、概算では、おおよそ150人から200人程度ではないかという話を聞いたことがあります。

天文学者が複数所属している大学や研究機関はロシアではごく限られており、それらの機関に所属する学者で全体の人数の少なくとも8割から9割程度を占めていると考えられるので、それらの研究機関に所属する研究者の人数をもとにした150人から200人という同僚の推定はそれほど見当違いではないでしょう。

ロシアで最大の天文学研究機関はモスクワに本部が設置されているロシア科学アカデミー天文学研究所(Институт астрономии РАН)です。この研究所は大型可視光望遠鏡を備える観測所や観測衛星プロジェクトも抱えているため、常時100人以上のスタッフが勤務しており、間違いなくロシア最大の天文学研究所です。

科学アカデミーの天文学研究所以外では、モスクワ大学、サンクトペテルブルク大学、ウラル連邦大学の天文学関係学科の規模が大きく、それぞれ数十人ずつのスタッフが在籍しています。ただし、ロシアの大学には講義のみを行い先端的な研究は行わないスタッフも多数存在するので、その人達を天文学者と呼ぶかどうかで天文学者の人数は大きく変わってきます。ここに挙げた4つの研究機関以外にも天文学者が所属する大学はいくつか存在しますが、その多くは1人ないし多くても数人のスタッフが所属しているのみです。

ロシアで行われている天文学の研究分野は、私が知っている範囲では、星形成関連、超新星や新星などのトランジット天体関連、電波観測衛星プロジェクト関連、各種理論系の研究等で、外国と積極的に共同研究するというよりはロシアの中だけで閉じて活動しているという感じが強いです。ロシア語を媒介とした研究会は多くロシア国内で催されていますが、天文学分野については大規模な国際研究会がロシアで開催されることは稀です。

経済が発展途上にあるロシアでは若い人はどちらかというと「実学志向」で、学業成績が一番優秀な学生は、国の特別の奨学金をもらうなどよほどの理由がない限りは基礎科学分野には進学してこないようです。したがって、天文学専攻の教員は「良い学生が来ない」と嘆いている人が多いです。

とはいうものの、そこはソ連からの科学研究の伝統を持つロシアなので「良い学生が来ない」と教員がぼやいている割には、天文学科に進学してくる学生の基礎学力は比較的しっかりしているという印象を個人的には持っています。今後、政府の基礎科学分野への予算的な補助が増えてくれば、ロシアの天文学ももっと盛んになってくる地盤はあると思います。

天文関連学科が入っているウラル連邦大学自然科学研究所
(2018年8月撮影)

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【第55回】地元メディアのインタビュー

2018年8月10日金曜日

【第55回】地元メディアのインタビュー

昨年の秋、地元エカテリンブルクのオンラインニュースメディア「エカテリンブルク・オンライン」(e1.ru)からインタビューを受けました。エカテリンブルクでは、近隣から流入してくる低賃金労働者を除くと、外国人の労働者数はまだまだ少ないのですが、それでも最近はグローバル化の波で、エカテリンブルクにも高度技能専門家(HQS)というカテゴリーの外国人労働者が増えてきています。そういったエカテリンブルクに来ている高度技能専門家等の外国人労働者を順次紹介するインタビューシリーズの一環として私にインタビュー依頼が来たのです。

英語の通訳が間に入ることもあり、あまり研究関連の複雑な内容を伝えることはできなかったのですが、インタビューにこられた記者さんの質問に答える形で私のエカテリンブルクやロシアに対する感想を話させていただきました。

ロシアの方が初対面で尋ねてこられる質問にはパターンがあって、記者さんの質問は、だいたい今まで一度は聞かれたものばかりでした。例えば、「ロシアに来る前に想像していたロシアと、実際に来てみた何が違ったか」「ロシアの好きな食べ物は?、嫌いな食べ物は?」「ロシアでの生活は楽しいか?」「寒さに離れたか?」「ロシアで一番印象的だったことは何?」といった感じです。

これらの質問に私がどう答えたかはリンク先の記事をGoogle翻訳を使って眺めていただくとして、私が面白かったのは、公開された記事の下についている「コメント欄」です。最近のニュース記事には、読者がコメントを書けるようになっているものが多いですが、エカテリンブルク・オンラインもこの仕組を導入しており、読者が感想を書き込んでいます。

ざっとコメント欄を眺めたところ、やはり日本人がエカテリンブルクで働いているということを多くの人が非常に珍しいと思うようで、「とんでもない金額の給料をもらっているに違いない。そうでなければ日本人が来るはずがない」、「こいつは日本人と言っているが実際は中国人に違いない」みたいな書き込みがありました。さらに「冷静に顔をみたらインド人っぽい。こいつが日本人の訳がない」みたいなコメントもあり、日本人がエカテリンブルクで働いていることが相当珍しいことと認識されていることがよくわかります。

「とんでもない金額の給料」というのはなかなか難しい問題で、私にとっては(日本の常識から判断して)大学教員としてごく普通の給料をもらっているつもりですが、外国人であるために特別の金額を提示されていることは事実で、そういうことから発生する問題もないわけではないのです。そのへんの事情についてはまたそのうち書いてみたいと思います。

エカテリンブルク・オンラインの記者にインタビューされている筆者
(2017年11月撮影)
エカテリンブルク・オンラインに掲載された記事:
https://www.e1.ru/news/spool/news_id-481528.html

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【第54回】天体メーザーの実用化?

2018年8月9日木曜日

【第54回】天体メーザーの実用化?

私が現在取り組んでいる研究内容を一言で言うのは難しいのですが、あえて一言で言うと、若干難しい表現になるのですが「メーザー輝線を利用した恒星外層の研究」といった感じです。「メーザー」というのは日本語でいうと「誘導放出によるマイクロ波増幅」とさらにややこしく、英語で書くと「maser」となります。これは「Microwave Amplification by Stimulated Emission of Radiation」という英語の略語です。

メーザーは簡単に言うと強く増幅されたミリ波の電波のことです。同様のメカニズムで増幅される電磁波一般を表す言葉に「レーザー」(laser = Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation)があり、レーザーの中で波長がミリメートル程度のものをメーザーと呼んでいます。このメーザーという言葉、昔は物理学や工学など、広い範囲の学者の間で使われていたのですが、現在では天文学者の中だけで生き残り、他の分野ではほぼ死語となっているようです。

私がウラル連邦大学で働かないかと誘われた理由の一つは、このメーザーに関する理論的な研究を行っているロシア人研究者がウラル連邦大学にいるためです。私はメーザーを放射する天体を観測的に研究しているので、研究を行う上でちょうど良い組み合わせなのです。

天体が放射するメーザーの天文学的意義を説明するのはなかなか難しい課題です。メーザーを研究している私の同僚は、彼が計画に関わっているロシアの宇宙電波望遠鏡プロジェクトがメーザーを検出したことを受けて最近地元メディアに向けて記者会見を行いました。このとき、30分ほどメーザーや研究内容について説明したあとに記者からの質問を受けたのですが、何人かの記者から同じ質問が出たそうです。その質問というのは「その天体メーザーというのはいつ実用化できるのですか?」というものだったそうです。

私達が行っている研究は、宇宙からやってくるメーザーを利用して「星の進化」について調べることが目的なのですが、どうもそのへんがさっぱり伝わらなかったようです。私の同僚が「実用化というと、どのようなことでしょうか?」と聞くと、「例えば軍事技術への転用とか」という返事だったとのことです。その記者さんは、星から出る「メーザー光線」でどこかの国を攻撃するようなイメージを描いておられたのでしょうか。一般への研究の説明というのは現場の研究者にとってはなかなか難しいものです。

ロシアの電波観測衛星 Radioastron のイメージ図
参考リンク:
http://www.asc.rssi.ru/radioastron/

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【第53回】ワールドカップの影響

2018年8月8日水曜日

【第53回】ワールドカップの影響

今年、ロシアではサッカーW杯ロシア大会が開催されました。エカテリンブルクも会場の一つで、日本代表が試合を行ったため、多くの日本人がエカテリンブルクを訪問したようです。ウラル連邦大学の日本語専攻の学生も、日本語の通訳ボランティアとして大会に参加し、多くの日本人との交流が生まれたようです。

さて、それなりに盛り上がったサッカーW杯ロシア大会ですが、地元で働く外国人労働者には大きな影響がありました。まず、近隣の国からエカテリンブルクに来ている低賃金労働者については、大会期間中(5月25日から7月25日の間の2ヶ月間)、ロシアの外に出るように非公式の勧告が出されたという報道がありました。

私はHQS(Highly Qualified Specialist、高度技能専門家)という区分の労働者なので、近郊から来ている労働者とは若干扱いは違いましたが、それでも大きな影響がありました。私の場合、大会期間中に一度ロシア外に出ると、その後7月25日まで特別の許可がない限りロシアに再入国できないという通達が職場を通じてありました。

ちょうど大会期間に国外出張する予定が入っていたので「特別の許可」をもらう可能性を探りましたが「許可申請を行ってもおそらく許可はおりない」とのことで、今年はやむを得ず国外出張した後に、日本でのバケーションを早めに取ることにしました。

エカテリンブルクの空港の入国管理を見ていると、特段のイベントがない通常時でも処理が大変遅いので、海外からの観戦客が殺到する状況では複数のビザを区別しながら入国管理手続きを行うことが現実的ではないのは想像がつきます。

とはいうものの、大きなイベントが行われるたびにこのような不都合が発生すると、なかなか外国人労働者がロシアに定着しないのではないかという懸念も抱きます。

ドバイ空港で乗り継ぐ際に見かけた
W杯ロシア大会のマスコット「ザビワカ」
(2018年6月撮影)

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【第52回】増えたエアコン

2018年8月7日火曜日

【第52回】増えたエアコン

数日前、散歩のときにウラル連邦大学の本館の横を通ったのですが、ふと見上げた壁面にエアコンの室外機が以前より増えていることに気が付きました。私の記憶では、4年前にウラル連邦大学に赴任したときには、この壁面に設置された室外機は5-6台程度だっと思います。

夏場、30℃を超える日が数える程しかないエカテリンブルクではエアコンは贅沢品とみなす人が多く、一般の家庭にはエアコンが無い方が普通です。

大学本館のエアコンの増加は、おそらくウラル連邦大学が、国が主導する高等教育改革プロジェクト(5-100プロジェクト)の重点大学に指定されていることと関係していると思われます。

5-100プロジェクトでは、ロシア国内の21の大学が重点大学に指定されています。「5-100」というプロジェクト名には、最低5つの大学を世界大学ランキングで100位以内にランクインさせるという意味が込められています。

2012年から始まったこのプロジェクト、昨年中間段階での評価が行われ、重点大学に「A、B、C」三段階の評価がつけられました。Aは予算補助を継続、Bは予算減額、Cは予算配分の打ち切りという内容です。ウラル連邦大学は「Bグループ」という評価でした。

2014年に赴任して以降、エアコンに象徴されるように施設設備については急速に整備が進みました。しかし、肝心の大学の「中身」の改革は私の目から見るとまだまだこれからというところです。ソビエト時代の大学運営が染み付いているロシアの大学に、お金だけ投入して「欧米から高い評価をもらえるように大学を改革せよ」といっても、実際にはなかなか難しいように思います。

Bグループ、Cグループの大学は、初期に割り振られた予算で多くの外国人スタッフを雇用しており、そのスタッフが今後どのように扱われるか、私としては切実な問題です。エアコンの数が増えたように、大学の質や評価も向上してくれることを願うばかりです。

ウラル連邦大学本館の壁面。4年前に比べて
エアコン室外機の数が大きく増加した。
(2018年8月撮影)

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