<<<筆者注:この記事はウクライナ侵攻前に執筆したもので、現在のロシアの状況を反映したものではないことにご注意ください>>>
まず、私としてはロシアに来る前に一番心配していた点は、ロシアで外国人研究者が、競争的な研究費補助を獲得するのは大変かどうか、という問題です。赴任後1年4ヶ月ほど経過して、現時点での私の答えは、「大変」ということになると思います。基礎科学分野において、応募できるグラントの公募数は日本よりもかなり多いのですが、外国人研究者が予算を獲得できる確率は、おそらく同じ分野の日本人研究者の科研費獲得率よりも低いだろうと思われます。
私の場合、前職場の香港大学にいた時は、在職していた6年間の間に、PIとして5回、政府系のグラントに応募し、その内、4回採択され、合計して日本円で約3000万円ほどの研究費補助を受けました。(私のいた当時の香港は、数百万円規模の研究費補助については大変恵まれた環境でした。) しかし、ロシアでは、赴任後3回政府系のグラントに応募しましたが、まだ一度も採択されていません。
ロシアの場合、グラントの種類にもよりますが、採択率は高くてもせいぜい10%程度、平均的には5-6%程度の採択率ですので、一つ一つのグラントについてみれば、日本の科研費よりも採択率が低いと思われます。また、おおまかな傾向としては、地方の研究者よりも、モスクワやサンクトペテルブルクなどの大都市圏の研究者に予算が割り振られる確率が高いようです。これは、グラントの審査員の多くが、大都市圏の大学や研究所に所属していることと無関係ではありません。ロシアでは、「競争的研究費補助」という制度自体が最近導入されたため、まだまだプロポーザルの審査における公平性が十分確保されているとは言えません。知り合いの名前が入っているプロポーザルには、中身を見ないで高い点数をつける審査員もいたりするようで、審査員と顔見知りの確率が高い大都市圏の大学や研究所に所属する研究者の方が明らかに有利であるという統計が出ています。ただ、最近では、地方限定のグラント公募が行われるなど、国としてもこの不公平問題に取り組み始めているようです。
ロシアのグラント事情を考える際に重要なのは、今も触れたように、「競争的研究費補助」というシステム自体が、比較的最近出来上がったという点です。政府系のメジャーなグラントソースとして、RNF(http://grant.rscf.ru/)という財団がありますが、RNFが競争的研究費補助の公募を始めたのは、ほんの3-4年前のことだそうです。したがって、日本、アメリカなどに比べると、ロシアにおけるグラントの選考過程には、まだまだ杜撰な点が多々あるように思われます。
最近私が応募した政府系研究グラントの一つに、「国際共同研究を推進するための研究費補助」というものがありました。結果としてこのグラントには落選したのですが、選考委員会から返ってきたコメントは「突っ込みどころ」が満載でした。例えば、規定では「共同研究者の50%以上が外国の研究機関(つまり、ロシア外の研究機関)に所属する研究者でなくてはいけない」となっていたので、私は共同研究者に占める外国人比率を60%程度に設定したのですが、選考委員会から返ってきた審査コメントには、驚くべきことに「研究チームに占める外国人比率が高すぎるので評価できない」という一文が含まれていました。どうやらロシアでは、選考委員会自体がグラントの規定をよく把握していない場合もあるようです。
もう一つ問題となるのがプロポーザル執筆に用いられる言語です。これまで私がロシアで目にした全てのグラント公募では、プロポーザル執筆に用いる言語は基本的にロシア語でした。RNFグラントの場合、研究計画等を補助的に英語で書く欄がありますが、そもそも審査員が全員ロシア人とのことなので、英語で書いたところでロシア語しか読まれない可能性が濃厚です。私がプロポーザルを準備する場合、まず最初に英語で研究計画を書き上げ、それをロシア人の共同研究者にロシア語に翻訳してもらうという流れになるのですが、この翻訳の品質が、選考結果をかなり左右しているのではないか推測しています。ロシア語ネイティブではない外国人研究者は、ロシア語翻訳の品質をチェックすることもできませんし、外国人研究者にとっては、使用言語はかなりストレスフルな問題だといえると思います。
しかし、ロシアのグラント事情は必ずしも悪いことばかりではありません。まず、基礎科学分野におけるグラント公募数が日本に比べて格段に多いことは間違いなく良い点の1つでしょう。一つ落とされても、2-3ヶ月以内に必ず別のチャンスが有りますので、研究計画書を改善・修正しながら、採択されるまで次々に別のグラント公募に応募し続けることが可能です。政府系の主なグラント公募だけでも毎年2つはありますし、それ以外も、に最近は単発のグラント公募が年に数回あります。
特に、BRICS諸国の首脳とロシアの大統領が会談した直後などのタイミングで、会談の相手国との間で、2国間共同研究を推進するグラントが単発で公募されることが時々あります。さらに、BRICS諸国間の共同研究を、最近連邦政府が強力に推進しており、今後もBRICS諸国との共同研究に関しては、新たなグラント公募が多数出てくるものと予想されます。
ロシアに対して最近西側諸国が経済制裁を実施している関係で、研究現場の予算も困窮しているのではないかと思われるかもしれませんが、実際にロシアの連邦大学の内部から見た感覚としては、研究予算について今のところそろほど大きな問題が生じているようには思えません。私の場合、まだ外部の競争的資金こそまだ採択されていませんが、競争的資金を獲得するまでのつなぎの費用を大学が補助してくれていますし、今のところ不自由はそれほど感じていません。また、ウラル連邦大学では、付属天文台や、自然科学研究所の施設設備の新築や改修も頻繁に行われており、自然科学研究分野では比較的予算が潤沢であるという印象すら持ちます。また、ルーブル安と関連して、外国人スタッフの給料も新年度から引き上げられることになっています。こういうことを総合して考えると、ロシアのグラント事情、およびロシアの基礎科学分野の未来には、ある程度の期待は持てるのではないかと思っています。