自分がポスドクだった時、所属していた研究グループのリーダーが困った人で、若手の原稿の原稿が長期間自分のところで止まっていても平気な人物だった。結局、彼は最終的に「クビに近い形」で研究所を去っていったが当然であろう。
一般的に言うと、論文は早く出せばよいというものではない。研究の質(論文の質)も当然大切である。しかし、この価値観を、アカデミアの強烈な競争にさらされている若手研究者に押し付けるのは酷というものである。若手を特に急かす必要はないとは思うが、私自身は、少なくとも研究グループのリーダーが若手の論文出版を遅らせるようなことがあってはならないと思っている。
珠海で迎える夏は今年で三回目となる。赴任後最初の2年間はコロナ禍の影響で、ありとあらゆることがイレギュラーだった訳だが、今年は最初の2年間に比べると、少し平常に近い感じで夏のスケジュールが動いている。通常に近いスケジュールになって気づいたのは、夏の職場は想像以上に忙しいということである。
講義がない時期に研究に専念できるかというとさにあらずなのだ。実は、夏の間は「夏のイベント」が目白押しなのである。例えば、大学院生を選抜するためのサマーキャンプ、大学院生のサマーワークショップ、学外の各種サマースクール、学外の研究会、こういった行事の多くが今年はオフラインで行われる。そして、そのいくつかにはデューティーとして参加しなくてはいけない。
外国人同僚の中には、このような夏のイベントにはお構いなしにバケーションを取る人もいる。しかし、いろいろ気を回す日本人気質の私としては、このクソ忙しい時期に長期間のバケーションをとることができない。あと、忙しいということは、それなりに職場で必要とされているということでもある。アカデミアで無職の危機に何度もさらされてきた人間としては、忙しいというのは決して苦痛ばかりというわけでもない。忙しさの中に多少の安心や充足感を見出している自分もいるのだ。
中国語学習
単語と例文の暗記(10分程度)、ラジオの聞き流し(20分程度)
ピアノ練習
SimplyPiano、リードシートIII