米国では、秋口に公募が始まり、翌年4月ごろまでに結果が出るのが通常です。しかし、私が応募した時は翌年2月になっても返事がきませんでした。そうこうしているうちに国内の公募にも相次いで落選し徐々に後がなくなってきました。
それで、私は何を思ったのか当時のディレクターに「あなたは私のヒーローです。あなたが1974年に出したあの論文がなければ今の私の研究はありません。是非ともあなたのところで働きたい。一生懸命働くので、どうか採用して下さい」といった内容のメールをたどたどしい英語で書いて送ったのです。
その後、しばらく梨の礫で、結局3月末までに研究職が見つからず、バイト的な職で食いつなぎながら研究を継続していたある夏の日、件のディレクターからメールが着信しました。
メールを開けてみると「応募ありがとう。今年は経験豊富な応募者がおり、その人を採用したためあなたを雇うことはできません」という文が見え、「あー、またかぁ」と思ってメールを閉じそうになりました。
しかし、何かもう一行書いてあったような気がしたので再度メールをよく見てみると、次のような「追伸」がありました。「追伸:追加のメールをありがとう。あなたの意気込みはわかった。ところで今年は余剰の予算があります。職を作ったら来ますか?」
最初よく意味を理解できず、10回位、噛みしめるように文面を読み直したことを今でも覚えています。
日本の公募では、こういうことはまず起きないでしょう。アメリカン・ドリームって実在するのだなと思いました。最近は米国も状況が難しくなってきているようですが、米国にこういうゆとりがなくなっていくとしたら寂しい話です。
BIMAのアンテナの前で、当時イリノイ大学の 大学院生だったダグ・フリーデル君と (2003年7月撮影) |