という訳で、ここ一ヶ月ほどの間、少しづつ合間の時間を見つけてはデータ解析に向けての環境整備を行っている。正確に言うと、環境整備に必要な情報を収集して試行錯誤を繰り返している。幾つかの問題は解決できたのだけど、もう一つ、一週間以上解決できていない問題が残っていて困っていたのだけれど、昨日、帰り道に「もしかするとこれで上手くいくかも」という方法が思い浮かび、検索して状況を確認したところ、その方法でうまく行った人が多くいるようだ。明日試してみるつもりだ。こういう思いつきを夕食後に試したりすると、失敗しても成功してもその日の寝付きが悪くなり次の日のQOLが下がることが経験上分かっているので、仕事は適当なところで次の日に先送りするのが吉である。
毎日のルーティンとして、きっちりと中国語学習を行うようになってから1年以上が経過した。学習アプリの記録によると、今日現在、完全にマスターした(つまり、聞き取りと発音の両方ができる単語)の数が1000程度、暗記した例文の数が260程度である。受験勉強を必死にやっている人なんかから見ると、「1年勉強してその程度なの?」と思われるような少ない進捗に見えるかもしれないが、日常業務の間に絞り出した数分を積み重ねてこの数値に達しているので、自分としてはよくやっている方だと思う。
以前、ロシアに住んでいた時にもロシア語を勉強していたが、私の語学学習というのはとにかく暗記先行型である。現地に住みながら外国語を勉強する人の中には、私と同じパターンの人も少なくないのではなかろうか。必要に応じて必要な例文を覚えて、それをすぐ実践で使う。これの繰り返しだ。
それで、以前ロシア語を勉強していた時、ある程度の数の例文を覚えた時点で、ふと思い立って文法書を読んでみたら、例文を急に暗記しやすくなったことを思い出した。文法を学ぶことで、単なる丸暗記だったのが、暗記する時の手がかりが増えたからだろうと思う。それなら最初から文法を勉強すれば良いだろうと思われるかもしれないが、これが私の場合まったく上手くいかないのだ。文法書は、ある程度頭の中にその言語の文章が入っていないと、全く興味が持てないようだ。しかし、数百程度のさまざまな種類の例文をガッツリと暗記し、諳んじて言えるようになってから文法書を読むと、とたんに文法書が面白く感じられてくるから不思議だ。
中国語に関しては、上述のように、そろそろ文法書を読んで面白く感じられる段階に入りつつある。そんな訳で、適当な文法書を見繕って、昨日の夕食後から読み始めた。やはり想像通りというか、頭の中に既にインプットされた例文が文法知識により再整理され、さらに記憶が固まっていく感じがしている。
中国語学習
単語と例文の暗記(10分程度)、ラジオの聞き流し、文法書
ピアノ練習
SimplyPiano、中級III