2021年1月24日日曜日

【第69回】ロシアから中国へ

さて、かなり久々にブログ記事を書いています。前回記事を投稿したのは、2018年の9月ですから、もうかれこれ、2年以上更新していなかったことになります。あれから何をしていたかというと、まぁ、いろいろと紆余曲折ありまして、現在は、中国の広東省にある中山大学というところで働いております。

前職場のウラル連邦大学では教授職に就いていたこともあり、赴任後2-3年目ぐらいまでは、ある程度長く働く可能性も視野に入れて行動していました。しかし、当初から5年経った時点でその後のキャリアを一度検討し直そうと考えていたこともあり、最終的に5年目に入った時点で長期的な就労は不可能であるという結論を出し、新たな職場へと移籍することを決断しました。

ウラル連邦大学で契約更新しなかった理由は、幾つかあるのですが、一番大きな理由は、大幅な賃金カットです。2014年のロシアのクリミア侵攻以降、西欧からのロシアに対する経済制裁によって、ロシアの経済状態が徐々に悪くなっていく中、大学に配分されていた高等教育改革のための予算が減額となり、結果として外国人スタッフの給料に改革予算(ソフトマネー)で上乗せされていた増加分がカットとなり、私の場合で、50%の年収減となりました。

エカテリンブルクの景色

この他にも、外国人スタッフには連邦政府レベルの研究費がほとんど配分されないことや、外国人スタッフだけがもらえる高給に起因する地元スタッフとの軋轢、社会インフラの不備による生活の不便さなどの問題も、ロシアでのキャリアに一区切りつける要因となりました。

そんなこんなで中国へ移籍することになった訳ですが、ロシアの地方都市(エカテリンブルク)での生活自体は、自分としては良い経験だったと思います。「良い経験」の中身は、なかなか一言では語れないのですが、自分の「世界観」が大幅に広がったように感じています。

ロシアという国そのものも、とても興味深い国ですが、ただそれだけではなく、ロシアを通して見えてくる未知の世界というものがあり、それがまた自分にとっては興味深い風景でした。例えば、私のオフィスの机の右隣はシリア人、左隣は北アフリカからの留学生でしたし、職員寮の隣の部屋はキルギス人、同じフロアにはアルメニア人やら南米からの留学生やらがたくさんいて、言葉で表すと、ありがちな「国際的」という表現になるのですが、それまで自分が使っていた国際的という言葉とは全く異なる感覚の「国際的」な生活を経験することができました。

私なんかにとっては、エカテリンブルクでの生活は、不安定で不便という印象を持ってしまうものでしたが、中央アジアや中東の紛争地から来たスタッフは、やっと安住の地に来ることができたとばかりに「子作り」に励むため大学寮は出産ラッシュでしたし、なんというか、知識の上では知っているけれど、体感として知らない国や地域がこの地球上には多くあるということを、実際その地域から来た人間との交流を通して認識できたことは、私の人生にとっては決して損にはならないだろうという感じはしています。

という訳で、このブログで過去に書いていたロシアに関する話題はとりあえず一区切りということになります。今後は、移籍先の中国での体験をもとに、ときどき気が向いたら、また記事を書いてみたいと思います。(中国は中国で、非常に面白い世界が広がっています。)


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