2018年8月24日金曜日

【第63回】解体された未完成電波塔

今年、ロシアではサッカーW杯が開催されましたが、大会開催に向けて街が急速に整備され、ここ1-2年ほどの間にとても街の中が綺麗になりました。ガタガタだった歩道の石畳が直されたり、道路が舗装し直されたり、見た目が汚かったキオスク(屋台型の小型の商店)が一掃されて市内統一デザインの綺麗な店舗となったり、様々な改修が行われました。

道路の改修などは市民から概ねポジティブに受け入れられたと思いますが、意見が割れたのが古い建物や構造物の取り壊しです。エカテリンブルクには、ソ連時代に建てられた建物や構造物が多数残っています。住宅などは改修されながら今も使われているものが多いですが、工場やモニュメントなどは、修理が行われず廃墟となり、中にはギャングの溜まり場になったり、倒壊する危険性があると言われているものもあります。

そういったソ連時代の構造物の中で特に有名で、ある意味「街のランドマーク」的な存在だったものに「未完成の電波塔」があります。この電波塔は、ソ連時代の末期に建築が始まったのですが、建築中にソ連が崩壊し未完成の状態で取り残されました。

10年ほど前までは、階段が整備され、塔の頂上に登ることができたようですが、てっぺんから無許可でパラシュートを抱えてダイビングに挑戦した人が死亡するなどの事件が発生した関係で、最近はずっと閉鎖されていました。以下に掲載された写真からもわかるように、塔の外観は殺風景で、老朽化から倒壊の危険性も指摘されるようになり、サッカーW杯を前に景観を改善するために取り壊すという話が州当局から出てきました。

しかし、どうもこの電波塔には街のランドマークとして愛着を持っていた人が多くいたようで、解体について、賛成と反対に街を二分する大論争となりました。当時のエカテリンブルク市長だったロイズマン氏も解体反対派で、反対デモに自ら参加するなどし、連日地元メディアでこの件についての報道が行われました。

その後、建築を専攻する大学生などが集まって、綺麗な外観に改修する案が出されたり、重要文化財としての登録申請が出されるなどしましたが、結局、W杯を目前にした2018年3月24日に州当局によって爆破解体されました。解体前日には、強硬な反対派が塔に登ってロシア国旗を掲げるなど状況が混乱し、最終的には特別任務民警支隊(オモン)と呼ばれる部隊が解体現場に投入されるなど、かなり街の中はピリピリした状態となりました。

電波塔の解体と同時期に、郊外に残っていたソ連時代の工場などもまとめて解体され、街の雰囲気が大きく変わりました。私は個人的にはソ連時代の建物も興味深いものが多いので、改修しながらある程度残しても良いのではないかと思います。しかし、エカテリンブルクで生活していると、対外的にロシアが外国の目にさらされるときには、「汚いロシア」や「貧乏なロシア」を決して外に見せたくなと思っている人ともたくさん遭遇します。

この電波塔解体周りのドサクサで見られるような、ソ連時代も含めた「古いロシア」を大切にする人たちと、「新しいロシア」に生まれ変わらなくてはいけないと考える人達のせめぎ合いは、今、非常に急速に変化しつつあるロシアの葛藤の一つの現れなのかもしれない、などと街の状況を見ながら私は考えていました。

解体される前の未完成電波塔(左)と解体後の残骸(右)

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