2022年6月11日土曜日

【日記】2022年6月10日(金) 、物議を醸す科学研究スクープ、自らの研究成果を客観的に見つめることの必要性

朝食を食べながらTwitterを眺めていたら、先日の日記に書いた探査機「はやぶさ2」が地球に持ち帰った砂から複数のアミノ酸が見つかったというニュースが、何やらその後物議を醸しているようだった。論文が出版される前に研究成果が報道されるのはなんだか普通ではないなと思っていたのだけれど、どうやら、報道解禁日時よりも前に情報をリークした人が共同研究チーム内にいたようだ。

SNS上では記事に関わったと思われる新聞記者が非難されているようで、一連のやりとりから想像するに、担当記者は「スクープの何が悪い?」と考えているようだ。まぁ、新聞記者にしてみればそれはそうだろう。

しかし、最近の科学研究関係の報道を見ていると、研究者が世間の注目をあびることに必死になりすぎているような気がしてしまう。最近増えてきた「大発見記者会見」もそうだし、今回のリークにしても、その根底には同じ文脈があるように思える。

私が初めてポスドクとして働いた時のアメリカ人のボスは、論文にセンセーショナルなタイトルをつけることを非常に嫌った。なのでそのボスの論文のタイトルはなんの虚飾もなくただ事実が分かるだけのものばかりだ。しかし、それでも偉大な研究者として電波天文学の歴史に名前を残している。それは、他の研究者から信用されていると言うだけでなく、本人が自分の研究成果を客観的に見つめて徹底的に間違いの可能性を考え抜き、調べ尽くしていたからだろうと思う。

最近の科学研究の動向を見ていると、自分たちの成果を世に知らしめることばかりに意識が向かっており、客観的に研究成果を見つめ直すというプロセスが抜け落ちているような気がしてならない。こういう話をすると「予算を獲得しないと研究は継続できないし、そのためには世論コントロールのための宣伝が必要なんだ」という正当化をする人が出てくるのだけれど、科学研究の本来のプロセスが歪んでしまっては、お金をとってきたところで科学は衰退していくのではないかと思う。

中国語学習

単語と例文の暗記(10分程度)、ラジオの聞き流し(20分程度)