2022年8月11日木曜日

【日記】2022年8月10日(水) 、昭和系ウルトラマン展の案内、思考に使う言語

マンション管理会社からのWeChatメッセージによると近所の商店街で近々「ウルトラマン展」が開催されるそうだ。どうも、聞いたところでは、ウルトラマンは中国で人気があるらしい。管理会社から来たメッセージには「昭和系奥特曼珠海首展来啦~!」と書いてあった。「珠海で初めての昭和系ウルトラマン展がくるよ~」といった感じの意味だが、こういう文脈で「昭和」という日本の元号を見るとは思わなかった。

昨年、遼寧省大連市郊外に作られた日本の街を模したテーマパークが突然閉鎖されたことがニュースになっていたが、中国で日本関連のイベントをやると同じようなリスクが必ずあるはずだ。しかし、その割には日本がらみのイベントが身の回りに満ち溢れていることには微妙な違和感を覚えるというか、どう理解してよいのか分からないというか、不思議な感覚である。

職場の卒業式で、日本のアニメ風の演出が行われ、演出に使われた映像の中に日本語が出てきたという話を以前この日記に書いたことがあるが、卒業式なんかには大学の共産党員がたくさん参列している訳だ。そういう状況でもあの演出が許されるということは、日本関連の演出やイベントが一概にすべてアウトということではなさそうである。何かの表紙に「スイッチ」が入ると拒否される可能性がある、ということだと思うが、何がスイッチになるのかは未だによく分からない。

さて、Twitterを眺めていたら、どういうわけか「考える時に私は○語を使う」みたいなツイートがたくさん流れていた。これらのツイートを見てふと思ったのだけど、私は思考のかなり多くの部分を非言語的にやっているような気がする。特に研究に関連して物理的な問題を考えるときは「イメージで考える」ことが多いと思う。頭の中に天体の形とか、ガスの運動とか、分子のエネルギー分布とかを思い浮かべつつ、それと同時に手書きで図とか数式を書き出して脳内のイメージを具体化し、最後に必要に応じて言葉でまとめるという感じだ。考えている途中には言葉はほとんど思い浮かべない。

上述の一連のツイートの発生源を辿っていったら「母国語で考える方が深い思考ができる」ということを言っている人がいて、どうやら、そこからいろんな議論が巻き起こっていたようだ。私個人としては、数理的な思考を行う際にはそもそも言語を思い浮かべないので、研究に関しては、この議論とは無縁そうである。

そういえば先日、職場ビル入り口に設置された図書自動貸出機に、しれっと「人間失格」が並んでいるのを見つけた。同僚と話をしていても、ときどき日本の小説を読んだという話を聞くことがある。本屋に行っても中国語に翻訳された日本語の書籍を多く見かける。反日な人が多い中、こういう日本系のあれやこれやをあちこちで見かけるのは本当に興味深い話である。

職場の図書自動貸出機に並んだ「人間失格」

中国語学習

単語と例文の暗記(20分程度)

ピアノ練習

SimplyPiano、エリーゼのために