2022年9月12日月曜日

【日記】同時多発テロ発生から21年目に思うこと、国際情勢に翻弄された私のキャリア

2022年9月11日(日) 

今日は9月11日ということで「同時多発テロ」関係のニュースがSNSのタイムラインに多く流れてくる。あれから21年になる。同時多発テロが発生した2001年9月、私は初めてのポスドク先を探し始めた頃で、ニュースを見ながらこの先世界がどのようになっていくのだろうという漠然とした不安感を感じていた。あの頃は、まさか日本の高等教育機関が今のような状況まで衰退するとは予想していなかったし、自分が20年も外国で研究キャリアを歩むということも全く予想していなかった。結果として、国際情勢に翻弄されまくった20年だった。

最初にポスドクとして赴任したアメリカでは、テロ直後はまだそれほど景気が悪い感じではなかったが、中等に対する報復攻撃が始まった後は、基礎研究関係の大型プロジェクトの予算が縮小されたり打ち切られたりということが発生した。その影響で、当初3年間働ける予定だったポスドク職の契約期間が2年4ヶ月に短縮され、最後の数カ月は突然の予定変更で大慌てで次の職を探すことになってしまった。

次に行った台湾ではポスドクとして2年半ほど、その次にいった香港ではエントリーレベルのファカルティー教員として6年間を過ごしたのだけれど、この期間には中国が世界での影響力を急速に増し、それに呼応するように台湾や香港で民主化運動が加熱した。特に香港に滞在していた後半は中国台頭の影響を強く受けたと思う。香港に赴任当初は、テニュアをとれる確率は低くはないという説明だったのだけれど、テニュアを与えられるのは中国系のスタッフばかりで、ここでも国際情勢の煽りを受ける形となった。

這々の体で辿り着いたロシアの大学では、赴任後1-2年は、国の高等教育拡充政策によって比較的大学は潤っていたように見えた。しかし、その後は問題山積だった。赴任前にはそこそこの好条件を提示されたものの、提示された条件の多くが守られず、ロシアの公的組織が一切信用できないということを身を持って学んだ。そして、コロナ禍が勃発する寸前の2019年9月に、中国の人材計画を利用してなんとかロシアを離脱することに成功した。その後、ロシアがウクライナに侵攻したことを考えると、一歩間違えたら大変な事態に巻き込まれていた訳で、その状況を想像すると今でも背中に寒気が走る。

そんなこんなで、中国にたどり着いたのだけど、正直なところ今が一番ほっとしているし、また仕事が楽しめているように思う。それはやはり職と国が「体感的に」安定しているからだと思う。西側の報道を見ていると、中国の職も危ういように見えるかもしれないが、西側の大学教員の待遇と相対的に比較したとき、中国の大学教員の方がQOLが低いとは思えない。自分の現役時代もあと10年ほどと考えると、残りの研究者人生はできるだけ安定した環境で研究と教育を楽しんでいきたいと願っているのだが、果たしてこの混沌の時代、どうなっていくのやら。

中国語学習

単語と例文の暗記(20分程度)