2022年9月17日土曜日

【日記】宿題がもたらしたポジティブな効果、成功人が周囲の人をもてなす習慣

2022年9月16日(金) 

昨年、初めて大学院博士課程向けの講義を受け持ったのだけれど、私の感覚では博士課程の院生に対しては、講義のときに「宿題」を出すというのはなんだかちょっと違うような気がして、講義の復習は各自の自主性に任せるということにしていた。

しかし、どうも中国人学生の反応を見ていると「宿題を出してほしい」という人が少なくないようだ。学部生なんかにいたっては、大学院生よりもさらに積極的に宿題を求めてきたりする。同僚の講義を覗いてみると、やはり宿題を出している場合が多いようだ。もしかすると、宿題があった方が「勉強している感」が持ててよいのかもしれない。

そういう訳で、今学期は、ものは試しと少し宿題を出してみている。宿題を出した次の講義の冒頭で「宿題のレビュー」をやることにしているのだけれど、昨年までの講義と比較すると、明らかに学生が講義を真剣に聞いてくれている感じがする。こうなってくると、また宿題を出すかということになって、もう4回連続で宿題を出している。

しかし、アシスタントのつかない大学院の講義で宿題の提出確認と採点をするのはかなりの重労働だ。ティーチングの質を上げようとすると、どうしても時間を余計に使うことになる。ティーチングは、質を高めようと思うと再現がなく、いくらでもやることが出てくる。ティーチング以外の他の仕事とのバランスを考えると、適当なところで折り合いをつけないといけないのだけれど、これがなかなか難しい。

夕方、オフィスで次の講義の準備を進めていたら、大型グラントを獲得した同僚が「学科の教員全員に晩飯をおごる会」を催すとのことで案内が回ってきた。正直なところ、学期中の忙しい時期に宴会はいらないと思うのだけれど、職場の様子を見ていると、大きな成功を収めた人が同僚たちをもてなすというのはどうも中国流のマナーのようだ。

国家レベルの大型グラントは、獲得した後が大変らしい。研究費が巨額なだけでなく、多くの人を巻き込んでいるために責任も重い。実際、中国では国家レベルの大型グラントのPIになった若手研究者が「過労死」するケースが最近続発している。宴会を行う背景には、追い詰められて時に、学内行政等で同僚に助けてもらうために周りへの気遣いが必要という意味合いもあるのだろう。私は職域の宴会というのはあまり好きではないのだけれど、郷に入れば郷に従えで、中国で働いている以上、多少の「おつきあい」は必要だと考えている。